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東京地方裁判所八王子支部 昭和43年(ワ)1097号 判決

原告

曾我フジエ

被告

株式会社原敬商店

主文

被告は、原告に対し、金一、二六七、七五七円およびこれに対する昭和四三年一二月二日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その一を被告、その余を原告の負担とする。

第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

原告は「被告は原告に対し金三、三四〇、三一一円およびこれに対する昭和四三年一二月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

「一、昭和四二年一二月五日午後七時三〇分頃、町田市原町田三丁目商店街第一ビル附近路上において、訴外田渕博昭の運転する自動車(以下「原告車」という)が一時停止中、被告の従業員訴外庄司猛の運転する自動車(ホンダAK二五〇、六多摩か六七〇四号、以下「被告車」という)がこれに追突し、このため原告車に同乗していた原告は頭部等に受傷した。

二、被告は被告車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、右事故による原告の損害を賠償する責任がある。

三、(一) 原告は受傷以来国立相模原病院に通院して治療を受けているが、頭部外傷後遺症、胸部腰部打撲後遺症としての頭痛、首・左肩・背筋の痛み、左足の歩行異常、乱視、視力減退、左半身のしびれ等の症状が今日まで継続し、自宅での静養をよぎなくされている。

(二) 原告は本件事故当時株式会社河合楽器製作所に勤務し、一カ月約金四四、七〇〇円の収入を得ていたところ、前記事情のため休業せざるをえなくなり、すくなくとも昭和四三年一二月二日(訴状送達の翌日)から五年間は稼働することが不可能となつた。このため、原告は右期間の収入を現在一時に請求するものとしてホフマン式計算法により換算した金二、三四〇、三一一円の損害をこうむつた。

(三) 原告は本件の受傷により日常生活にも種々の支障を受け、労働能力を完全に失つた。勤務先から解雇されることは時間の問題で、もはや原告の将来は絶望的となつた。しかも本件事故は前記庄司の無免許運転によるものである。これらの事情にかんがみ、原告の受くべき慰藉料はすくなくとも金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

四、よつて被告に対し右合計金三、三四〇、三一一円および弁済期後である昭和四三年一二月二日から完済まで年五分の割合による金員の支払を求める。

五、なお被告主張の治療費ならびに休業補償の支払を受けたことは認める。」被告は請求棄却の判決を求め、次のとおり述べた。

「請求原因第一、二項の事実は認める。

同第三項中、被告車の運転者が無免許であつたことは認めその余は争う。本件事故は極めて軽微な衝突で、原告車に同乗していた男子二名は軽小の被害ですみ、いずれも早期に示談解決したものである。原告のみは婦人とはいえ、事故時にさしたる異常はなく、皆で歩いて帰つた位であり、むち打ち症を起す程の事故ではなかつた。まして完全に労働能力を失つたとは到底考えられない。診断書にも種々の疑問があり、本訴請求は過大不当である。

なお、被告は原告に対し、治療費として(イ)猪飼整形外科医院関係金一〇、六〇〇円(ロ)慈恵医大付属病院関係金四九、二八〇円、(ハ)町田市立中央病院関係金三五、七九二円右合計金九五、六七二円、休業補償として昭和四三年五月分まで一カ月金四四、七〇〇円の割合による金員を支払ずみである。」

〔証拠関係略〕

理由

請求原因第一、二項の事実は当事者間に争がない。

そこで原告の損害について判断する。

(1)  〔証拠略〕を綜合すると、次のとおり認めることができる。

原告は大正一一年八月生れ、元山高等女学校を卒業し、有線通信士、カナタイプ、証券外務員(甲種)等の技能を有する女性であつて、夫と娘一人(共に会社員)の三人家族の主婦である。昭和三六年以降株式会社河合楽器製作所に勤務し、事故当時一カ月金四四、七〇〇円、年間金五三六、四〇〇円を下らない収入を得ていたところ、本件事故のため今日まで休業し、その間の収入を失つた。

原告が原告車の後部座席でカタログの整理をしているときに被告車が追突し、原告は目の前がまつくらになつた感じで、気がつくと座席にのけぞつていた。当日は電車で帰つたものの、直後から頸部痛、頭痛、左手指の脱力感、しびれ感などがあり、猪飼整形外科に約一〇日間通院したが症状は改善せず、ついで昭和四二年一二月一五日から翌四三年二月二〇日まで慈恵医大付属病院に通院(実日数一一日)した。マツサージ治療をひんぱんに受ける必要上、同年二月二一日から六月二六日までは自宅近くの町田市立病院に通院(実日数四二日)したが、マツサージ中に左半身がしびれたことなどから、その頃、脳外科のある国立相模原病院に転じ、「頭頸部外傷後遺症、胸部腰部打撲傷後遺症」の診断で今日まで通院治療(最近では二週間に一度)を受けている。

現在の主な自覚症状は左の項頸部から左肩、背筋にかけての異常感と目まい、目のちらつき等であり、疲労したり天気の悪い時にはこれが嵩じて激痛となる。左手首のうずきや左下腿部のしびれ、視力の減退も残つている。一時に比べて改善され、家事労働は多少やれるようになつたが、就業は現在のところ無理である。治癒の時期、後遺障害の有無、程度は確定できないが、なお、当分は現在の症状の継続が予想され、その後それが改善されるにしても原職への復帰はかなり困難であろうと考えられる。

ところで原告については神経学的にとりたてた所見はなく、脳波にも外傷に関連すると思われる異常はない。ただ頸部レントゲン写真の第五、第六頸椎の間に屈曲の異常があり、これは本件事故に起因するのではないか、本人の訴える項頸部の異常感等はこれに関係するのではないかと思われる。最近ではこうした器質的障害はかなりとれてきているが、負傷によつて生じた心因性反応による症状が相当加わつている。そこで現在は向精神薬の使用を主とし、精神療法によつて治療効果をあげている。しかし、器質的要因が少ないといつても、本人の愁訴は客観的に了解可能であり、いわゆる詐病あるいは賠償性神経症の事案とは全く趣を異にするものである。

右の認定を動かすべき証拠はない。

(2)  そこで、原告主張の逸失利益(昭和四三年一二月二日から五年間の稼働不能による損害)について検討するに、

(イ)  まず、上記認定事実と前掲証拠によれば、原告は原告主張の昭和四三年一二月二日以降すくなくとも昭和四五年一二月一日(本件口頭弁論終結の五カ月後)までの二年間は就業が不可能で、その間に得べかりし収入を喪失したと認めるべきである。

しかし、被告が賠償すべき損害額を決するには、二つの面から右の逸失利益額に限定を加える必要がある。第一に、原告のような有職の主婦が事故に遭遇し、さしあたり復職は不可能であるが家事労働はある程度できるという場合には、労働能力を一〇〇%喪失したとみるべきでなく、そこに家事労働能力を斟酌すべきである。第二に原告の症状における心因性要素をどう取扱うべきか。心因性の疑があるとの理由で逸失利益を全面的に否定すること(東京地判昭四五・四・二二参照)は妥当でない。ほとんどすべての負傷事故には器質的側面と心因的側面があり、その比率が問題なのである。詐病の疑があるというならともかく、心因性の疑があるというだけで逸失利益を否定するのはナンセンスである。一部に不必得者がいるからといつて、本当に悩み苦しんでいる被害者を疑わしい眼で見るべきではない。たとえ心因の比率が大であつても、事故に起因する真実の障害である限りこれを賠償しなければならぬのは当然である。ただ心因性反応の大小は通常被害者の個人的特性と密接に結びついていることを考えると、心因的側面が大きなウエイトを占める事案の損害を全面的に加害者に負担せしめることは、必ずしも適切公平でなく、事案によつては信義則の適用ないし過失相殺制度の類推(被害者になんら過失がなくとも、広く損害の公平な分担を目的とする制度と理解する)により賠償額を縮減または否定すべき場合があると考えられる。

本件では右の二つの意味において、被告が賠償すべき損害額は前記期間中の喪失収入額の五〇%、すなわち金四九九、二四六円(536,400×0.5×1.86147=499,246)(円未満切捨)に限定するのが相当である。

(ロ)  次に前認定の事実と前掲各証拠によると、原告は昭和四五年一二月二日以降なおすくなくとも三年間にわたり稼働能力を相当程度喪失することが推認されるが、前段に述べた諸事情にてらすと、被告の賠償すべき金額は右期間中の喪失収入額の二〇%、すなわち金二六八、五一一円(536,400×0.2×(4.36437-1.86147)=268,511)(円未満切捨)とするのが相当である。

(3)  最後に、原告が本件事故により多大の精神的肉体的苦痛を受けたことは推認するに難くない。被告が被告主張の治療費を支払つたこと、その他一切の事情を考慮すると、原告に対する慰藉料は金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

してみると、被告は原告に対し、本件事故の損害額賠償として右合計金一、二六七、七五七円およびこれに対する昭和四三年一二月二日以降民事法定利率年五分の割合による損害金を支払う義務がある。本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却し、民事訴訟法九二条本文、一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 楠本安雄)

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